推しがいて毎日病む

推しがいて毎日病む

生きづらいオタクのモヤモヤをお届けします

惰性で推してしまうオタク

好きだったソシャゲが、サ終してしまった皆様お疲れ様です。

私もサ終しました。

 

そして、サ終して暫く経ったオタクです

 

 

osiyamu.hatenablog.com

 

 

ここでは、暫く経ってどうか?元気か?という話をしたいと思います

 

 

 

サ終してからも、グッズは出るし、イベント(コラボカフェやライブ等)はありますよね。

コンテンツ自体は続いていくことがほとんどです。

グッズを買ったり、イベントにも行きました。

しかし、もう終わってしまったコンテンツのグッズを買ってもしょうがないな…と思うようになってしまいました

この徐々に気持ちがなくなっていく感覚は何度経験しても寂しいですよね

 

正直に言いますと、ぶっちゃけ、サ終が決まった時から、

サ終すると、気持ちが冷めてしまうことは分かっていました

 

長年オタクをやっていると、サ終の経験は何回かあります。推しが引退、脱退、解散等の経験のようなものです

そのたびに、新たなものを見つけ、次に行きました。

これはもうしょうがない。区切りがついた時点で気持ちは落ち着くし、冷める。

あんなに好きだったのに、あっけない

アプリが終了するだけで気持ちはなくなる。

アプリが継続してくれているというのは、幸せなことだなと改めて思います

次が来ること、予定があることっていうのは、大事なことだと感じました

 

 

個人的に、サ終が決まって、サ終するまでの間は次に行く準備期間だと思っています

好きな気持ちは変わらないし、楽しかったのも事実。

しかし、気持ちは絶対に落ち着くし、冷める。おかしくないです。当たり前です。

「終わる」ということは「新しく進む」ことでもあると思います

 

遠い昔、好きになったゲームの旬が去っていくことが、辛かったときがあります。もうこのゲームしか好きになることはない。最初で最後。と勝手に思っていました。

他の界隈へ移っていったオタクが嫌いでした。あんなに好きって言ってたのに、なんなんだよって。浮気(笑)じゃんって。

数年後には結局私も別のところにいました

 

そういう流行っては旬が去って(サ終)を繰り返し経験すると、次に行くことが悪いことではないと思えるようになります。

ずっと好きでいることが推しに対する愛の大きさ、好きさだと思うんですよね

その愛の大きさを誰に見せたいのでしょうか

 

自分の気持ちはもうないのに、ずっと好きでいなきゃという義務を自ら課していた

今まで費やした時間や、お金が勿体なくて、惰性で推してしまっている

それに気がつければ、今の自分に正直になろうと思えるようになります

 

もちろん、サ終後も大好きで楽しそうなオタクもいらっしゃいます

ただ、自分がもう飽きてきているのに、好きでいなきゃという義務で推している

それなら、考え直してもいいかもしれません

時間もお金も有限ですしね