推しがいて毎日病む

推しがいて毎日病む

生きづらいオタクのモヤモヤをお届けします

そもそも「推し」じゃなかった話

現代のオタクにモヤモヤを感じるオタクの皆様お疲れ様です

私もオタクってこんなのだっけ?と感じているオタクです

 

「オタク」というものが一般化していますよね

「推し」がいるのも当たり前

別に恥じることもなく、普通に生活

オタクが流行りの時代だと思うのです

マイノリティだったオタクが、メジャーになった寂しさがあったりします

 

その中で出来た「推し」という文化

なんでもかんでも推しと言えば伝わるので、

二次元キャラ、アイドル、配信者、YouTuber、俳優等

「好きなもの、ひと、こと」→「推し」

 

楽しい生活ハッピー

 

なのですが、

ずっとしっくり来ていなかったのです

SNSをやっていると、なにか違う感じ

生きづらさというか、モヤモヤというか

その中で気が付いたのが

 

そもそも別に「推し」じゃねえじゃん

 

ということです

 

この話をさせてください

 

 

「推し」とは

・人に薦めたいと思うほど好意を持っている人物(もの)のこと

 

らしいです

正しいのかは知りません

Wikipediaから持ってきました

 

「推す」ということが

・ある人物を他にすすめる。推薦する

という意味があるようです

 

この「推し」という本来の意味からして、

私の好きな人は「推し」ではありませんでした

 

誰かにおすすめしたい、推薦したいという気持ちがさらさらないです

 

これは同担拒否の話にもなるのですが、

自己完結型をとっているので、誰かにいいよ!という必要がありません

おすすめしたいと思った事がないです

 

現代のオタクの風潮が、好きすぎて誰かに言いふらしたいということだと思うのです

SNSもあるし、すぐに布教、共有出来ますしね

 

個人的には、「おすすめしたくなるほど好き」というより、「独り占めしたくなるほど好き」のニュアンスのほうが近いです

 

そこに世間とのギャップがあったことに、一人で納得しました

もやもやするのも当たり前です

 

限界夢女が

「なんか○○(自分の好きなキャラ)のことを推しって言いたくないんだよね。推しっていうと急にキャラ感出てくるし。安売りな感じがする。」

って言っていたのを思い出しました

今思うと少し(少し)理解できます

 

 

「推し」という言葉が一般化されているので、結局は使うんですけどね

分かりやすいし、楽です

 

某アイドル界隈では「担当」「○○担」「自担」

某歌劇界隈では「ご贔屓」

少し前の二次元界隈では「嫁」「俺の嫁

 

こっちのほうが自分のオタクスタンスとしては、しっくりきます

 

また、自分の気持ち的には

「推し」は伏せ字です

検索よけ、自分の好きな人を知らない人に話をするときなど。その感覚でいます

 

誰か「推し」に代わる言葉を作ってほしいなあ、なにかいい言葉ないかな。と思いながら「推し」と言っています

 

とはいえ、好きな気持ちがあるのなら、そんな細かいこと言いなさんなと、言われそう

その通りです

ただ、現代の推していこう!(ビジネス)がブームのオタクでは無いことに気がつけました

よく分からないもの(モヤモヤ)が言語化されたり、形になると生きやすくなりません?

「あ、別に推していないもんな」って

気がついただけで、何も変わらないんですけども

1歩進めてさらにオタクが楽しくなる気がします