推しの幸せを喜べない自分はオタク失格なのか
生きづらいオタクの皆様、お疲れ様です
私も生きづらいです
オタクをやっていて生きづらいなと思うことは幾度となくあります
その中で「推しの幸せを喜べない」ということがあります
全肯定のオタクたちに囲まれて、こんな負の感情を持ってしまっていること
それに対して、生きづらいと感じるわけです
例えば、推しの恋愛ドラマが決まったとします
恋愛ドラマであれば、きっとキスシーンもあるはず。
見れない…やってほしくない…と思ってしまう
仕事が増えることは推しにとって幸せなことだと思います
推しの幸せ=仕事が増えたこと
仕事が増えたこと=オタクの私は喜べない
推しの幸せ=オタクの私は喜べない
という感じです
「推しを応援できないって、ファン失格じゃない?」
「それは本当に好きじゃないでしょ」
SNSで論争が起きているのを見かけますよね
そこで「いや!全部好きじゃなくて何が悪い!私は私だから!」
っていう強いオタクならいいんですが、自分はそうではない
「なんで応援できないのだろう…」と思ってしまう
こう思ってしまう理由って
周りと比べているんですよね
悩んでいるのは
「負の感情を持ってしまった。皆は応援しているのに、私は出来ない」
という皆は出来ているのに、私は出来ない
皆になれないということに苦しんでいる気がします
「みんなは布教しているのに、私は独り占めしたい」
皆が正で、私は間違い。
という私は悪人と思ってしまうことが辛いんです
じゃあどうしたらいいのか
「推しが好き」ならなんでもよくない?
推しになにを思うかは自由だと思っています
「推しが好き」という気持ちがあればどうでもよくない?
って考えるようになりました
自分が好きだと思うのなら、どういう推し方であっても良い
時々負の感情を持つも自由だし、全肯定も自由
本当のファンじゃなかろうが
「推しが好き」
それで良いと思います
別に誰かに認められたくてオタクやっているわけじゃないですよね?
(皆に認められてやっている大手が羨ましいさも時々ありますけどね)
やらないことを決める
「好きなら何でも良い」になると、推しに危害を加えてもOK!ってなってしまいます
そうならないために、やらないことを決めます
これを決めてしまうとオタクをするうえで楽になります
例えば「推しを傷つけない」など
推しが見えるようなところで推しの悪口を言わない
「そんな仕事すんなよ~」など、推しが見て傷つくようなものはやらないと決める
「推しに迷惑をかける行動をしない」でも良いですね
ストーカーや盗撮など、無断転載とか
推しに迷惑をかけないって当たり前に思えますが、
「推しが好き」だからなんでもおっけーってことを正義だと勘違いするとおかしな方向に進んでいく気がします
推しに好かれるオタクでいる
推しに好かれたいです
推しに嫌われたいと思うオタクは少ない気がします
(オキラとして自分の存在を認めてもらいたいというオタクもいますが)
推しが母親ヅラ辞めてって言えば、辞めます(表向きは)
共演者を悪く言わないでとブログで書けば、共演者の悪口を書き込まないです(表向きは)
推しの嫌がることをするオタクにはならないでいよう
そういうことが思えれば、あとはいくら他オタクに嫉妬しようと、負の感情が出ようといいのではないかと感じます
推しが好きということには、色々な感情が出てくることが普通だと思っています
全肯定できるオタクの方が少なくない?
二次元だって解釈が違って喚いたりするし、新キャラが出ればブツブツ文句を言ったりします
だから推しの幸せを喜べない。そんなときもあります大丈夫です
負の感情を推しにぶつけたり、辞めてくれ!ってコメントかかなきゃいいわけです
自分の心の中や鍵垢で負の感情を吐き出しましょう
節度をもって、好きに我が道進みましょう
そういうオタクが一番楽しそうです
「推しが好き」その気持ちがあるのなら大丈夫です